慶応3年(1867年) |
-.- |
福岡藩,オランダ医学の教授を目的に藩校賛生館を設立 |
明治5年(1872年) |
8.- | 賛生館廃校 |
明治7年(1874年) |
12.3 | 福岡県,旧藩校修猷館内に診察所を設置 |
明治10年(1877年) |
4.12 | 東京大学創設〔文達12〕 |
6.25 |
修猷館内診察所,東中洲に移転し福岡病院として開院 |
明治12年(1879年) |
7.1 | 福岡病院廃止,同所に福岡医学校を開設〔県達甲95〕。福岡医学校仮規則制定〔県達甲96〕 |
1.- | 東京大学医学士大森治豊・熊谷玄旦,福岡医学校教師に着任 |
明治13年(1880年) |
1.10 | 福岡医学校開校式 |
5.20 | 福岡医学校職制章程並諸規則制定〔県達甲53〕 |
明治14年(1881年) |
4.5 | 福岡医学校に薬舗学科設置,教則を制定〔県達甲39〕 |
明治15年(1882年) |
5.27 | 文部省,医学校通則を制定,甲種医学校等の基準を提示〔文達4〕 |
明治16年(1883年) |
2.5 | 福岡医学校規則制定〔県告5〕 |
4.- | 福岡医学校,甲種医学校として認可 |
明治17年(1884年) |
7.14 | 福岡医学校附属病院規則制定〔県告50〕。 |
8.16 | 福岡医学校に乙種薬学校設置,乙種薬学校規則を制定〔県告54〕。 |
明治18年(1885年) |
4.28 | 福岡医学校教師大森治豊・池田陽一,ポポロ式帝王切開手術を行う |
明治19年(1886年) |
3.2 | 帝国大学令公布〔勅3〕。 |
12.6 | 福岡県会,明治20年度福岡医学校予算の全廃を決議。 |
明治20年(1887年) |
5.21 | 学位令公布〔勅13〕。 |
7.6 | 福岡県下各郡有志,県立病院設立協議会を結成,福岡医学校の県立病院への改組を建議。 |
10.1 | 「租税収入ヲ以テ府県立医学校ヲ維持スルヲ得サルノ件」公布〔勅48〕(府県立医学校の費用は,明治21年度以降地方税をもって支弁することを禁止,府県立医学校の廃止相継ぐ)。 |
明治21年(1888年) |
3.31 | 福岡甲種医学校廃止,4月1日より同所に県立福岡病院を開院〔県告8〕。 |
7.- | 県立福岡病院,医学士の県内巡回を始める。 |
明治22年(1889年) |
2.11 | 大日本帝国憲法発布。 |
6.18 | 玄洋医会,『杏林之栞』を創刊。 |
明治23年(1890年) |
10.3 | 教育勅語発布。 |
明治26年(1893年) |
10.- | 福岡県立病院に看護婦養成所を設置。 |
明治27年(1894年) |
6.25 | 高等学校令公布〔勅75〕(9.11施行)。 |
明治29年(1896年) |
6.22 | 県立福岡病院,福岡県筑紫郡千代村(現在の病院地区)に移転,診療を開始。 |
7.29 | 県立福岡病院規則制定〔県告118〕。 |
明治30年(1897年) |
6.22 | 京都帝国大学創設〔勅209〕,京都帝国大学官制公布〔勅211〕。 |
| 帝国大学高等官官等俸給令公布〔勅212〕。 |
明治31年(1898年) |
12.10 | 学位令全改〔勅344〕,博士会規則公布〔勅345〕。 |
明治32年(1899年) |
1.28 | 修猷館長隈本有尚,福岡日日新聞に「九州大学と高等学校」を発表,福岡における大学設置運動の口火となる(以後,熊本・長崎においても「九州大学」誘致運動)。 |
11.30 | 福岡県会,九州大学設置に関する建議を可決。 |
-.- | 福岡県教育会,「九州大学設置ノ位置ハ福岡県最好適地タルノ説明書」を作成。 |
明治33年(1900年) |
2.2 | 第14帝国議会,九州・東北帝国大学設置建議案を可決。 |
12.5 | 福岡県会,福岡県に医科・法科・工科の三大学が設置された場合には,福岡病院を大学の附属病院として献納する旨の建議を可決 |
明治34年(1901年) |
3.29 | 文部省外国留学生規程全改〔勅16〕。 |
9.25 | 閣議,医科大学の一分科を設け,翌明治35年からその一部を実施することを決定。 |
10.20 | 福岡日日新聞,「九州大学を失ふ勿れ」を掲載。 |
10.22 | 福岡市,大学設置期成会を結成。 |
10.28 | 福岡県会,医科大学設置促進のため県立福岡病院,金25万円および土地2万6700坪の寄付条件を可決。 |
11.2 | 菊池文部大臣,県立福岡病院を視察。12.16文相,第15帝国議会予算委員会において福岡医科大学の設立を翌明治35年度から開始することを言明。 |
明治35年(1902年) |
2.8 | 第16帝国議会,福岡医科大学明治35年度必要経費(37万5000円)を可決。 |
3.28 | 臨時教員養成所官制公布〔勅100〕(4.1施行)。 |
明治36年(1903年) |
3.25 | 京都帝国大学福岡医科大学創設〔勅54〕。 |
| 京都帝国大学官制改正〔勅55〕(第2条「総長ハ其ノ職権ニ属スル事務ノ一部ヲ福岡医科大学長ニ委任スルコトヲ得」。4.1施行)。 |
3.26 | 「福岡医科大学授業開始ニ関スル件」公布〔文省8〕(京都帝国大学福岡医科大学を4月1日より開設し,医学科を置く)。 |
3.31 | 「京都帝国大学法科大学医科大学及理工科大学講座ノ件」公布〔勅68〕(京都帝国大学福岡医科大学における講座の種類およびその数が定められる。4.1施行)。 |
| 「京都帝国大学総長職務中福岡医科大学長ヘ委任条件」を制定。 |
3.- | 医科大学事務室134坪75竣工。 |
4.1 | 福岡県立病院長大森治豊,初代福岡医科大学長兼附属医院長に就任。 |
4.2 | 福岡県より県立福岡病院の敷地(2万9551坪)・建物(延3262余坪)等の引渡しを受ける。 |
4.16 | 書記官委任条件を制定。 |
4.27 | 福岡医科大学事務分掌を制定。 |
5.1 | 福岡医科大学附属医院規程を制定。 |
6.12 | 附属医院看護婦養成科規則を制定。 |
7.28 | 福岡医科大学規程・学科課程は,京都帝国大学規程・同学科課程の通りと定められる。 |
8.3 | 試問細則を制定。 |
8.- | 病理学,解剖学教室898坪,生理学,医化学教室810坪竣工。 |
9.1 | 京都帝国大学通則を制定。 |
9.14 | 福岡医科大学第1回入学宣誓式を挙行。9.16授業開始。 |
10.21 | 司法省より福岡医科大学敷地として257坪の所管換を受ける。 |
10.22 | 福岡医科大学第1回教授会開催。12.1教授会内規を制定。 |
10.30 | 農商務省より福岡医科大学敷地として1万1000坪の所管換を受ける。 |
11.3 | 福岡医科大学学友会を設立。 |
12.16 | 副手規定を制定。 |
明治37年(1904年) |
2.10 | 日露戦争始まる。 |
2.29 | 内務省より福岡医科大学敷地として2478坪790の所管換を受ける。 |
2.- | 医科大学学生組織の木曜会を設立。 |
3.24 | 福岡医科大学,本日を創立記念日に制定,祝賀会を挙行。 |
3.- | 附属医院看護婦寄宿舎120坪竣工。 |
8.- | 医科大学学生控所67坪,薬物学教室485坪25竣工。 |
9.8 | 「学生ハ制服制帽ヲ着用スヘキ旨」を達。 |
11.3 | 第1回学友会端艇競漕大会開催,3000余人の観衆が集まる。 |
明治38年(1905年) |
3.- | 附属医院東九病棟286坪938,同十病棟248坪875,臨床講義室741坪813竣工。 |
10.- | 福岡医科大学基督教青年会を設立。 |
明治39年(1906年) |
1.- | 衛生学,法医学教室827坪75竣工。 |
7.16 | 附属医院長委任条件を制定。 |
11.- | 伝染病室(第二内科)248坪875,東十一病棟248坪875,臨床講義室講堂およびX光線室745坪813竣工。 |
| 福岡県会,工科大学設置に関し金25万円と土地およそ6万坪の代金を寄付する建議を可決。 |
12.3 | 古河財閥,牧野文部大臣に対し福岡工科大学ほか二大学の校舎を文部省の設置計画通り建設し,献納する旨の申し出を行う。 |
明治40年(1907年) |
1.31 | 衆議院予算委員会第1分科会,工科大学の設立を可決。 |
3.25 | 帝国大学特別会計法〔法19〕,帝国大学特別会計規則〔勅53〕,帝国大学経理委員会規則〔勅54〕公布(明治40年度より施行)。 |
3.27 | 福岡医科大学学位授与資格審査内規を制定。 |
5.19 | 福岡医科大学仏教青年会を設立。 |
5.24 | 「臨時文部省帝国大学ニ技師技手ヲ置クノ件」公布〔勅215〕。 |
6.28 | 『福岡医科大学雑誌』を創刊。 |
6.- | 木曜会,雑誌『木曜』を刊行。 |
7.3 | 「帝国大学, 文部省直轄諸学校又ハ商船学校高等官ノ官等ニ関スル件」公布〔勅252〕。 |
7.18 | 「帝国大学学生監特別任用ノ件」公布〔勅279〕。 |
9.16 | 福岡市,工科大学敷地買収に関する「市起債及償還規定」を可決。 |
11.- | 内科,外科診察所472坪5,産婦人科,眼科診察所355坪竣工。 |
12.4 | 内閣,工科大学敷地買収に関して土地収容法の適用を決定。 |
12.12 | 福岡医科大学第1回卒業証書授与式を挙行。 |
明治41年(1908年) |
2.- | 福岡医科大学消費会を設立。 |
3.16 | 特待生制度を設置。 |
6.3 | 医科大学附属医院に薬局長を設置〔勅143〕。 |
6.16 | 「帝国大学事務官, 帝国大学司書官及帝国大学司書特別任用令」公布〔勅154〕。 |
11.- | 医科大学図書閲覧室204坪竣工。 |
明治42年(1909年) |
6.14 | 福岡医科大学集談会を設立。 |
明治43年(1910年) |
9.2 | 初の外国人留学生,医科大学准学生として入学を許可される。 |
9.- | 精神病学教室948坪305竣工。 |
12.22 | 九州帝国大学創設〔勅448〕(福岡に帝国大学を置き九州帝国大学と称す。明44.1.1施行)。九州帝国大学工科大学官制公布〔勅449〕(明44.1.1施行)。 |
12.23 | 「九州帝国大学工科大学開設ニ関スル件」公布〔文省36〕(九州帝国大学工科大学を明治44年1月1日より開設)。工科大学の事務は当分の間文部省内において取り扱うこととなる〔文告242〕。 |
明治44年(1911年) |
3.18 | 九州帝国大学工科大学に土木工学,機械工学,電気工学,応用化学,採鉱学,冶金学の6学科を置き,9月11日から授業開始〔文省11〕。 |
3.23 | 帝国大学特別会計法改正〔法22〕(東京・京都両帝国大学に東北・九州の両帝国大学が加えられる)。 |
3.27 | 九州帝国大学工科大学の事務は4月1日より大学内で取り扱うこととなる〔文告97〕。 |
3.31 | 九州帝国大学官制公布〔勅43〕(九州帝国大学に総長・事務官・学生監・書記を,分科大学に教授・助教授・助手・書記を置き,このほか各分科大学に学長を,医科大学附属医院に医院長・薬局長・薬剤手を置く。4.1施行)。 |
| 「九州帝国大学ニ関スル件」改正〔勅45〕(京都帝国大学福岡医科大学は九州帝国大学医科大学となる。4.1施行)。 |
| 「九州帝国大学工科大学ノ講座ニ関スル件」公布〔勅48〕(工科大学における講座の種類およびその数が定められる。4.1施行)。 |
4.1 | 元東京帝国大学総長山川健次郎,九州帝国大学初代総長に就任。 |
| 九州帝国大学総長職務規定を制定〔文部大臣訓令〕。 |
| 普通懲戒委員会を設置。 |
4.2 | 福岡日日新聞,「九州大学の独立」を掲載,大学誕生の意義を論じる。 |
4.10 | 九州帝国大学評議員互選手続を制定。 |
4.15 | 九州帝国大学処務規程を制定,大学本部に庶務課,会計課および学生監室を設置。 |
| 医科大学長委任事項,工科大学長委任事項を制定。 |
4.20 | 九州帝国大学事務官委任事項を制定。 |
4.25 | 九州帝国大学会計事務規程,職員服務心得を制定。 |
5.4 | 第1回評議会開催,九州帝国大学評議会規程を制定。 |
5.5 | 医科大学執務手続を制定。 |
5.11 | 天皇親署の教育勅語下賜。 |
5.15 | 元医科大学長大森治豊,本学初の名誉教授を授与される。 |
5.25 | 会計課事務分掌規程を制定。 |
6.- | 工科大学事務室340坪竣工。 |
7.18 | 九州帝国大学通則,九州帝国大学副手規程を制定。 |
7.25 | 工科大学南教室518坪全焼。 |
7.31 | 工科大学入学規則を制定。 |
8.1 | 「学生制服制帽」を制定。 |
8.2 | 工科大学学科課程,同選科規程を制定。 |
8.23 | 医科大学規程を制定。 |
9.5 | 学籍簿誓詞を制定。 |
10.4 | 九州帝国大学第1回入学生宣誓式を挙行(工科大学第1回)。 |
10.12 | 火災警備規程を制定。 |
10.14 | 運動会仮規則を制定。 |
11.5 | 第1回陸上運動会を開催。 |
11.17 | 工科大学入学規定を制定。 |
11.20 | 大学本部に臨時建築掛を設置。 |
12.20 | 福岡県より工科大学敷地として5万487坪の寄付を受ける。 |
| 内務省より工科大学敷地として1710坪の,同じく農商務省より7803坪625の所管換を受ける。 |
12.25 | 医科大学内に財団法人恵愛団を開設。 |