告　辞
爰ニ本学宣誓式ヲ挙グルニ方リ一言所懐ヲ述ベテ入学生諸子ニ告グルハ不肖ノ喜トスル所ナリ
入学生諸子諸子ハ今此ノ式場ニ於テ宣誓ヲ了シ正ニ本学ノ人トナレリ惟フニ男子一生ノ向フ所ヲ定ムルハ寔ニ人生ノ一大事タリ諸子ガ今日各自業務ノ専門ヲ確定セルハ諸子ノ生涯ニ一新紀元ヲ劃セルモノ不肖ハ諸子ノ為ニ之ヲ祝シ諸子ガ将来各々其ノ向フ所ニ従ツテ大成センコトヲ望ムヤ切ナリ
本学ハ言フマデモ無ク帝国最高ノ学府ニシテ社会各方面ノ事業ニ於テ人ノ首長タリ指導者タルベキ人物ヲ養成スル所タリ故ニ苟クモ来ツテ斯ニ学ブ者ハ独リ学術技芸ノ研究ノミヲ以テ足レリトセズ必ズヤ徳操人格ニ於テモ亦儼トシテ国民ノ儀表タランコトヲ期セザルベカラズ諸子ハ身己ニ学問アリ見識アリ儼乎トシテ一箇ノ紳士タリ故ニ本学ハ一ニ諸子ノ人格ヲ信ジ諸子ノ自制ニ依頼シ敢テ煩瑣ナル拘束ヲ加フルコトヲ為サザルベシ而モ万一不幸ニシテ諸子ノ中ヨリ学生ノ本分ヲ誤リ延イテ本学ノ体面ヲ汚スモノヲ出スコトアランカ本学ハ之ニ対シテ断乎タル処分ヲ行ヒ秋毫モ仮借スル所ナカルベシ諸子其レ自ラ重ンジ自ラ警メ一身ノ為ニ将本学ノ為ニ誓ツテ這般ノ不祥事ヲ致サザランコトヲ期セヨ
特ニ研学ニ関スル詳細ノ事項ニ就キテハ各学長教授諸氏ヨリ教示セラルヽ所アルベシ諸子善ク之ヲ聴キ善ク之ヲ体セバ諸子ノ成業期シテ待ツベシ不肖復何ヲ以テ之ニ加ヘンヤ而モ倩々思フニ苟クモ一箇専門ノ学術ヲ修メ身人ノ長トナラントスル者ハ学生タル間ニ於ケル相互ノ交際接触ガ将来ノ社会生活ニ於ケル基礎タルコトヲ思ヒテ深ク心ヲ致サザル可ラザルモノアルヲ見ル輓近科学ノ進歩ノ劇甚ナルト共ニ新シキ学科ハ日々ニ増シ月々ニ加ハリテ底止スル所ヲ知ラズ随ツテ一箇専門学者タルモノハ常ニ自家ノ専門ガ人生ヲ向上セシムルノ所以ノ途ノ只小ナル一部分タルコトヲ牢記シ其ノ専門学科ト他学科トノ関係ニ注意シ苟クモ己ノ従フ所ニ益アルモノヲ見テハ直チニ之ヲ収メテ自家薬籠中ノモノトスルノ用意ヲ怠ルベカラズ
蓋シ良教師ガ其ノ学生ニ与フル感化ノ多大ナルハ言ヲ俟タザル所タリ而モ如何ニ優良ナル教師モ学生相互ノ接触磨礪ニ依リテ享クル利益ハ之ヲ与フルコト能ハザルベシ学芸会運動会其他学生間ニ設ケラレタル各種ノ集会ガ其ノ本来ノ目的トスル所以外ニ於テ学生ヲ利益スルノ大ナル蓋シ測ルベカラザルモノアラン不肖ハ諸子ガ善ク此諸機関ヲ活用シテ大ニ切磋磨礪ノ功ヲ挙ゲンコトヲ望ム
悪ノ小ナルヲ以テ此ヲ為スコト勿レトハ甚ダ平凡ナル訓言ノ如クナレドモ不肖ハ其ノ諸子今日ノ境遇ニ甚タ適切ナルモノアルヲ思フ一時ノ懈怠一旦ノ悖信其ノ過ハ小ナルガ如シト雖モ之ヲ敢テシテ些々タル過失トナシ顧ル所ナキハ自ラ欺クノ甚シキモノ諸子ハ深ク之ヲ慎マザルベカラズ信用ハ一旦ニシテ来ラズ学生々活ニ於ケル同窓周知ノ瑣事ハ即チ近ク知友ノ自家ニ対スル尺度ヲ定メ延イテ将来ニ於ケル社会一般ノ信用ノ厚薄ヲ為ス所以ナリ是ニ由テ之ヲ観レハ諸子在学中ノ一挙手一投足ハ正ニ諸子ガ卒業後ノ成敗ヲ左右スト謂フモ可ナリ諸子之ヲ慎メヤ
入学生諸子諸子ガ来ツテ本学ノ医科又ハ工科ニ入リタルハ猶兵士ノ動員令ニ因リテ戦場ニ臨メルガ如シ国家ハ諸子ニ望ムニ其出動方面ノ如何ヲ問ハズ各自ノ属スル所ニ従ツテ殊勲ヲ立テ功名ヲ耀カサンコトヲ以テセリ冀ハクハ諸子カ奮発勉励夙夜ニ懈ラズ単ニ一箇ノ医師トシテ一箇ノ技師トシテ善ク一家ヲ為スヲ以テ足レリトセズ常ニ国家的観念ヲ以テ自家行動ノ枢軸トナシ之ヲ以テ自ラ率ヰ更ニ之ヲ以テ人ヲ率ヰルノ精神ヲ固ウシ以テ将来ニ大成スルアランコトヲ
之ヲ告辞トス
大正七年十月四日　　　　　　　　　　　九州帝国大学総長工学博士　真　野　文　二