明治四十四年十月四日宣誓式ニ於テ山川総長告辞
帝国大学令第一条ニ「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ云々」トアル是ハ如何ナル意味デアルカ、世界ノ文明国ノ何レニ於テモ百般ノ事業ノ要路ニ当ツテ団体ノ幹部トデモ云フベキ位置ニ居ル人ハ大抵ハ大学教育ヲ受ケタ人デアル、政事ノ方面デ云ヘハ我ガ日本ハ過渡ノ時代デアルノデ除外例デアルガ英国ノ首相デアルアスキスデモ反対党ノ首領バルフルデモランスドーンデモ、米国ノ大統領タフト又ハ前ノ大統領ローズヴェルトデモ皆大学出身者デアル又英米以外ノ国デモ大抵同ジ状態デアル是ハ単ニ政治方面ニ就テ云フノデアルガ其ノ他人生凡テノ事業法律工業医業等ノ中心枢軸ト為ツテ居ル人ハ大学教育ヲ受ケタ人デアル、大学教育ヲ受ケタ人ガ中心枢軸ト為ランデハ国ガ発展進歩ヲ為スコトガ出来ンノデアル、我ガ日本デモ政事社会軍人社会ヲ（此ノ二ツノ社会ニハ特殊ノ事情ガアルノデ）除外例ニスレバ多クノ事業ノ中心ト為ツテ居ルノハ大学出身者デアル、我ガ日本デ大学ノ出来タノハ僅カニ三十余年前デ、未ダ卒業生モ壱万トハナイノニモ係ハラズ、右ノ次第デアル此ノ中心枢軸ト為ル人ヲ養成スル目的デ帝国大学ガ設立サレテアルノデ大学令ニ「国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ云々」トアルノハ前申ス国家百般ノ事業ノ中心ト為ルベキ人ヲ養成スルト云フ意味デアル、則チ国家ノ必要ヲ満タス為メニ大学ヲ設立シテ学生諸子ヲ教育スルノデアル、サレバ国家ハ莫大ノ金ヲ諸子ノ教育ニ投ジテ居ル、本大学ニ於テ本年度ノ如キハ学生一人ニ対シ一ヶ年間ニ費ス所ガ約壱千四百円デアル、諸子ガ大学在学ノ年数三年如クハ四年間ト又諸子ガ高等学校在学中トニ於テ国家ガ諸子ノ為メニ費シタ所ノモノヲ合セ算用シタナラバ其総額ハ夥敷額ニ為ル事ト信セラルヽ
斯ク諸子ヲバ国家ガ国家ノ用ヲ為ス為メニ教育シテ居ルノデアルカラ諸子ハ他ノ国民ニ比シ国家ノ恩恵ヲ被ルコトガ甚ダ深イニヨツテ国家ニ対スル義務モ亦従テ他ノ国民ヨリモ重且大デアルト云ハンケレバナラン、サレバ国家ニ対シ此ノ大恩ヲ報イザル間ハ諸子ノ身体ハ諸子ノモノヽ様デアリナガラ諸子ノモノデナイ国家ノモノデアルト考ヘンケレバナランノデアル、万事ニ関シ諸子ハ此ノ事ヲ忘却サレザランニハ大過ハアルマジク思ハレル、仮令ヘバ摂生ヲ怠ル誘悪ガアリトセヨ、此ノ身体ハ我ガ身体ニアラズ焉ンゾ不摂生ノ誘悪ニ陥ツテ此ノ国家ノ有ナル身体ヲ害フベケンヤト省タナラバ不摂生ノ誘悪ニハ陥ラン道理デアル、同ジ道理デ不品行ヲ為スノ誘悪ガアルトキニ、我ガ身体ハ我ガ身体ニアラズ、国家ノ身体デアルト、反省シタナラ如何ニ欲望ノ誘悪ガ強クトモ悪道ニ陥ルノ憂ハナイコトヽ信セラルヽノデアル、又学業ヲ怠ル誘悪ガアルトスルニ国家ヨリ預ツタ大事ナ此ノ身体デアル此ノ誘悪ニ陥ツテナルモノカト反省スレバ不勉強ノ魔道ニ陥ランノデアル又此ノ観念ヲ以テ単ニ消極的ニ身体操行ノ健全ヲ保ツバカリデハナラン、此ノ身体ハ己ガ身体ニアラズ国家ヨリ預リ居ルモノデアルカラ、此ガ充分ナル発達ヲ料リ聊モ欠点ナカラン様ニ注意センケレバナラン、即チ衣食住ニ相当ノ注意ヲ為シ適宜ノ運動ヲシテ身体ヲ充分ニ発達セシムルノハ諸子ガ国家ニ対スル義務デアル事ヲ忘レテハナランノデアル、又学ヲ励ミ智ヲ研キ国家ノ発達ヲ助クル人ト自己ヲ為スモ亦諸子ノ国家ニ対スル義務デアル又カラダハ国家カラノ預リモノデアルカラ君国忠ニ父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ朋友ニ信ニ取捨節アリ処身勇アリ人ニ交ルニ礼アリ譲アル士君子ト己ヲ為スコトニ努ムルモ亦諸子ガ国家ニ対スル義務デアルト思フ、諸子ニシテ以上ノ如キ重且大ナル義務ヲ負担シ居ルコトヲ造次ニモ顛沛ニモ忘却セラレザランニハ、ソレニテ大学ハ満足シ得ルノデアル、諸子ハ丁年以上ノ男子デアルニ依テ大学ハ諸子ヲ遇スルニ士君子ノ礼ヲ以テスル、小学中学ニ於ケルガ如ク諸子ヲ拘束センノデアルガ自由ノ存スル所ニハ必ズ之ニ供フノ義務ノアルコトヲ忘レラレザランコトヲ希望スル如シ諸子ニ於テ日本最高ノ学府ノ学生タル本分ヲ忘レ邪道ニ陥ル如キ事ガ万ヶ一アツタナラ本学ハ止ムヲエズ断然タル所分ヲ為スノデアルカラ諸子ニ於テハ深ク考慮セラルヽコトヲ希望スルノデアル、猶学術上ノ指導ハソレ々々受持ノ教員カラアラウデアラフシ又其ノ他時々学長ヨリ訓示ガアルベキデアルガ諸子ニ於テハ謹ミテ服膺サレンコトヲ希望スルノデアル