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総長訓示式辞

二六 大正十五年五月一日宣誓式ニ於ケル大工原総長ノ告辞

宣誓式告辞  (大工原総長口述)
本日茲に本年の入学生宣誓式を行ふにあたりまして一言申し述べたいと存ずるのであります。
諸子は既に高等の教育を了へられ本日茲に最高学府の学生となられたのであります。本学に於ける諸子の三年乃至四年の生活は学生々活としての最終の生活であるのであります。此の最終の学生々活を了へてそして社会に出で活躍せらるゝのでありますがこの最終の学生々活に於いて諸君は学業を研鑚すると共に尚人格の向上に努力せられん事を希望するのであります。
大学令第一条に「大学ハ国家ニ須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ並其ノ蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トシ兼テ人格ノ陶冶及国家思想ノ涵養ニ留意スヘキモノトス」かくの如く言ひ現はされてゐる。此れは大正七年に発布せられたる大学令第一条に掲げられてあるのであります。尚それ以前に明治十九年に制定の帝国大学令第一条には何としてあるかと申しますと「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」
かくの如くあります。
此の明治時代に制定せられたる帝国大学令第一条は大正に入つて制定せられたる大学令第一条といさゝか異なつてゐると思ふのであります。此れはいはゆる時代思潮変遷の反映の一端を茲に示して居るのであると思ふのであります。
明治年代に於ては学術万能の考へが漲つてゐた然るに明治年代の終りから大正年代に渉り学術万能といふ考へは間違つてゐたといふ様に思はれて来たのであります。即ち学問に加ふるに人格を以つてするといふことが大切であるといふのであります。所謂学徳兼備の必要を考へられたのでかく大学令にも学術の研究に人格の陶冶が付け加へられてゐるのであります。近時大学を出るもの頗る多く従つて就職難の声が至る所に多いにも拘らず社会に於ては人物払底の声あるは如何なる訳でしようか、世間では本当に信頼して仕事を任し得る人物を求むること切なるに係らず斯る人物が乏しいのであります。
此れは学術万能の考が未だ去らずして人格の陶冶に充分でないからであると私は常に思ふのであります。
然れば諸君は在学中に学業を力むるは勿論の事でありますが尚精神の修養人格の陶冶に意を用ひられんことを希望するのであります。然らば大学は人格の陶冶といふことに対し如何なる課程、如何なる施設を有するかといふに従来も現在も特別の施設をあまり有してゐないのであります。然し大学は学問の独立研究の自由を認められてゐるのであります。従つて学術の研究は勿論芸術、宗教、運動、遊戯、弁論、読書など諸君の欲するまゝに攻究することが出来るのであります。
又諸君は各々境遇、習慣を異にするのみならず思想に於ても専門に於ても相異なれる学生諸君が互に相接する時にまた教授、助教授の諸先生方と相接する時に所謂切磋琢磨大いに修養の時機が少なくないと思ふのであります。教室に於て教授と学生が真剣に真理の研究に没頭する時はその間一種言ふべからさる感情の融和がありその間一種微妙なる感化があると思ふのであります。此れは通信教授と学校教育との間に於ける差が其処に存するものと思ふのであります。
吾々の経験によりまするに高等教育を受けたものと低い教育を受けたものとはその品性上その間に認むべき差のあること疑ひないのであります。
尚私は所謂思想問題について一言述べたいと思ふのであります。
学術の研究は此の日進月歩の世でありますから常に新しきを尚ぶ傾向あるは免れないのでありますが、徒らに新奇を撰ぶは如何なものでしようか。新しいもの必ずしも採るべきでなく、古きもの必ずしも排すべきではないのであります。真理は両極端の中央にあるといはれてゐますがこれは真に真理だと思ひます。
また近頃赤化運動を恐るゝ者が甚だしい様であります。赤化または過激化は決して好い傾向ではありません。寧ろ恐るべきことであります。けれども世間はあまりに之に神経を尖らして取扱ふのは決して策の得たものではないおもむろに善導すべきものであると信ずるのであります。思想の進歩と言ふか発展と言ふか其の経過に於ては少数のものは極端にまで傾きたがるのでありますが、吾国民が皆その極端にまで走るといふことは断じてないと私は信ずるのであります。
吾大和民族の血潮の中には最も尊きものが流れてゐる多少の犠牲者は出す事はあつても国民の多数が赤化し過激化するといふ事は私は決して信じないものであります。
若しも国民全体が赤化する様な可弱いものであるならば、或はそのように国民の素質がよろしくないならば、如何に思想の悪化を防止せんとするもそれは到底防ぎ得られないと思ふのであります。私は吾国民の前途を楽観してゐるのであります。
どうか新入学生に於ては研究の自由は認むるが研究の範囲を脱し或は或種の宣伝或は実行に渉ることはこれ学生の本分を越へたものでありますから何処までも真理を研究するといふ態度を以つてかくの如き弊に陥らない様に深く注意せられんことを希望するのであります。
之を要するに入学生諸子は本学の学生たる本分を誤らず大学令第一条に則り学術、人格を兼備し国家に須要なる人物となり諸子最後の学生々活を有意義に了らるゝ事を希望してやまないのであります。
(大正十五年五月一日)

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