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総長訓示式辞

三 仝四十五年七月卒業式ニ於ケル山川総長告辞

明治四十五年七月卒業式ニ於山川総長告辞
卒業生諸子ハ、多年蛍雪の功を積んで、卒業の月桂冠を頂き、今や母校を去らんとするに当り、一言訣別の辞を贈りたいと思ふ、
適者生存不適者死滅、短く云へバ優勝劣敗といふことハ、今更事新らしく云ふ迄もなく、生物界の一大原則てあつて、生きとし生けるものハ、其の動物たると植物たるとを問ハず、凡て此原則の下に在るから、只に人間にも此の原則が応用せらるゝのみでなく、人間の団体である国家にも亦応用さるゝのである、生存に不適当な国即ち劣国は、漸次に滅亡して、生存に適当な国即ち優国が、生存することゝなる、古来より国の亡びた原因ハ種々違ふかも知れんが、ツマリ他国に対し、比較的に不適者となつたものが、亡びたのに外ならんのである、今世界最近百年来の歴史を見るに、強国が弱国を兼併したのは少くない、而して此の百年来世の中の文明の進歩したによつて、一方には戦争が少くなる、又一方には行政司法機関の発達、医術衛生の進歩等によつて、死亡率が段々と小くなり、其の結果として、世界の人口は日増しに増加した、—精密なことハ判らんけれども、—百年前にハ世界の人口が約六億と云ふことであつたのに、今は十六億もあるらしい、併し人類の住所たる地球の大さハ、百年前も今も依然として少しの変りハない、又此の百年来の交通機関と通信機関との発達は、実に非常なものである、一例を挙ぐれバ、仏郎西の『ジユール・ヴエルン』と云ふ人の明治六年に出版した『世界一周八十日記』と云ふ小説があるが、今を去る四十年前に於て、実際出来得ることではないが、凡ての交通機関を利用し、凡ての場合に於て不思議な程都合がよいければ、八十日で世界を一周することが出来ると云ふことを書いたものである、当時に在つては八十日で世界を一周し得るなどゝ云ふことハ、驚くべきことてあつた、然るに今でハ八十日で世界を一周するのハ極めて易々たることである、如し『ジユール・ヴエルン』に今日の有様を書かしたなら『世界一周三十五日記』とか『三十日記』とかを作るのであらう、右は僅々四十年前のことであるが、猶六十年溯つて、今より百年前の交通機関と通信機関との有様を、今の其れと比較すると、霄壌も啻ならずと云ふ位である、交通通信両機関の発達は、取りもなほさず地球が狭くなつたと同様である、百年来世界の人口ハ二倍半以上になつて居るにも関せず、人間の住所たる地球は反つて狭くなつたと同様だとすれバ、列国の生存競争が、昔時に比して甚しく猛烈になり、強国即ち適者が生存し、弱国即ち不適者が滅亡するのハ、優勝劣敗の原則上止ミ得ざる次第である、するから((マヽ))今我が日本国を維持するのにハ、是非とも日本をして世界の強国中での適者の位置に立たせんけれバならんのである、生存競争に於ける国の適者たるにハ種々の要素があるが、就中国民の愛国心の強いと云ふことが最も大切な要素の一つである、日清日露の両大戦役に勝つた主な原因の一つは、我が国民の愛国心の強いことてあると云ふのハ、世界の公評であるが、事実上真相を得たものてあると思ふ、然るに近来文学の雑誌などに顕れて居る所から見ると、我が国民少くとも我が国青年者の愛国心が、近来段々と薄くなる傾がありハしまいか、人間の本能だとか芸術の神聖だとか云ふことに溺れて、君国の休戚などを度外視するを高尚なことの様になし、暗に誇る先輩などがあつて、分別の浅い青年男女が、之を時代思想とか新思想とか誤解し、新文明の骨髄でもある如く心酔して、之に見倣ひ、眼中に自我あつて君国のないものもあるかに聞くが、果して然らバ実に容易ならんことであると思ふ、其の一例を挙ぐれバ虚か実か確かでないが、近比文壇で名声噴々たる或る女詩人が、其の知人の日露戦役に出陣するを送つて、『死にますな君』と歌つたと云ふことを聞く、如し我が国民殊に次代の国民たるべき青年が、此の詩人の如き人々に魅せられて、君国の為めにさへも命を惜む様に為つたならば、我が日本国は到底維持することが出来ず、生存競争場裡の劣者と為つて、亡滅するより外はないのである、昔『スパルタ』の賢母ハ、其の子の出陣を送つて『盾を持つて帰れ、然らずんバ盾に乗つて帰れ』と云つたと云ふことであるが、是ハ『戦に勝て、然らずんバ戦死せよ』と云ふ意味である、日露戦役の当時日本婦人の意気込ハ、此の『スパルタ』の賢母の其れにも優る位であつたからこそ、大戦役にも勝利を得たのであるが、如し当時我が婦人が、其の子其の夫の出陣を送つて、『死にますな君』などゝ歌つたなら、士気沮喪して到底勝利を得ることハ出来なんだのハ明白である、如し果して文壇の趨勢に於テ上に云つた如く君国の休戚を度外視する様な傾向があるならば、是ハ実に由々敷大事と思ふのである、又文学以外の方面から観察しても近来青年者の日に増し柔弱に流れ、大伴家持卿の『海行者美都久屍』と歌はれた、又山陽外史の『相模太郎胆如甕』と歌つた、日本男児の雄々しき風を失ひつゝある傾がある様に思はれる、殊に其の心中に君国を思ふ念慮が甚だ薄い様に感ぜられるが、果して然らば、我が国家の前途に関してハ深く痛歎せさるを得んのである、未来に於て優者と為り、我が民族と生存を競争すべき諸民族は、同一人種で、然も同宗教の信徒である、即ち皆所謂白人種で、其の宗教ハ基督教である、—我輩には攘夷心などは毛頭ないが—白人以外に白人と生存競争を為すものは我が大和民族のミである、同党異伐は人情であるから、吾人は我が民族の孤立して居ることを自覚することを要する、然らば今の時ハ君国の危急存亡の秋であると云ハんけれバならん、故に我が国民たるものは、一挙手一投足にも君国の利益を目安として動くべきである、
権大納言師兼卿の
君のため国のためそと思はすは雪も蛍も何か集めん
群書類従和歌部 宗良親王千首

と云ふ歌があるが、—二の句には元『民』とあつたのを今仮りに『国』と修正した、—此の歌は心学者流の歌めいて居るから、単に歌としてはよい歌かあしい歌かハ容易く判断し難い、併し忠君愛国の真心を三十一字に約めて居る所ハ、我輩に深く興味を与ふるものである、右の歌は学問することに関しての心掛を歌つたものでハあるが、何事を為すにも同様の心掛あるべきハ勿論である、殊に高等教育を受けたる人達、即ち世論を支配する人達が、凡て右の歌の精神をもつて君国に尽す様になつて、始めて日本国をして世界の競争場裡の優者とならしめ、之を泰山の安きに置くことが出来るのである、諸子の従来の心掛ハ右の歌の精神の通りてあつたことハ、我輩の信する所であるが、今後と雖も同じ心掛で造次顛沛にも君国のことを忘れられざらんことは、我が輩の切に希望するところである、

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