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総長訓示式辞

三二 昭和六年三月三十一日学士試験合格証書授与式ニ於ケル松浦総長告辞

昭和六年三月三十一日卒業式に於ける松浦総長告辞
諸君は本学各学部に於ける所要学科目単位を修了し試験に合格し茲に卒業の栄誉を荷はれたのであります。諸君自身の喜びは申す迄も無く諸君の父兄の方々も定めて御喜びのことと存じます。私は本学職員を代表して満腔の祝意を表する次第であります、尚不肖今日諸君と御別れを致すに際して一言餞別の辞を呈したいと思います。
米国では学校の卒業のことを「コンメンスメント」と申します。これは何か深い意味があるのかも知れませんが之を普通尋常に解釈すれば始まりといふことでありませう、これは頗る面白い言葉であつて私も諸君の卒業を「コンメンスメント」と申したい気が致しました、即ち諸君は大学の課程を修了せられたのであるが然し諸君の仕事はこれで終わつたのでは無いこれから始まるのである、進んで大学院に入りて学術の研究を為さんとする人も出でて社会の実務に当らんとする人もこれから第一歩を踏み出す訳である、諸君の大に奮励努力すべきは今後に在るのである、昔は大学を修了して学士になつたとでもいふと余程豪い者になつた様に自身も考へ世間一般でも亦同じ様に認めたのである、私は三十年前大学を卒業して郷里に帰つた時に或人からお前は大学で勉強して卒業したのだからもう此上に読む書物は一冊も無いのだろうと言はれて唖然として返答に困つたことがあります、まさか今日此様な馬鹿げた問を発する人はありますまいがそれでも世間では大学卒業といへば可成り豪い者だと思ふ傾きがあります、然し実際を申せば諸君が大学で修得した所の知識は言はヾ卒論に過ぎないもので殊に今日は文化普及の結果として社会一般の知識の水準線が余程高まつて来ましたから大学卒業者の比較的価値は以前よりも余程減少して居ります、大学を卒業したといふことが別に豪くも何とも無い、唯大学卒業者の価値は何処にあるかといへば其人が現在有して居る学識其のものに存ずるに非ずして将来学術の進歩に伴ひ常に新知識を吸収し又応用の方面に於ても事物の変遷に順応して之に善処し得る素地を備へて居るといふ点に存するのである、換言すれば将来大に伸び得る可能性があるといふことである、これが大学卒業者の難有味である、然も大に伸び得るが為には不絶自己の修養を努めねばならぬ、修養を怠れば結局大学卒業者たるの価値を発揮することは出来ぬ、故に諸君が本日の卒業を以て其修養を新にする第一歩なりといふ意味に解釈して益努めて其大成を期せられむことを希望して止みませぬ、
修養といふことを申しましたがこれは独り学問の修養ばかりでは無い人格の修養といふことが極めて大切である、人は学問のみではいけぬ、人格の光が之に加はらなければ世に立ちて其大成を期することは出来ぬ諸君は人格の修養といふことに付てはこれ迄も飽きる程聞かされて居ることであろう、人格といふ声を聞くと又かと言はれるかも知れませぬ、然し人格修養といふことは幾度言ふても言ひ過ぎといふことは無い程大切なことであります、私は世間の事物に接触し社会の経験を積で居る点では諸君に対して一日の長が有る、其私が長年の経験から申すのである何卒人格の修養といふことを一日も忘れない様に願ひたいのであります、
我国の前途は多望ではありますが又多事であります、国家は諸君の如く高い素養を有して居る人の働きに対して大なる期待を持て居るのである、唯今日は一般の不景気の為に所謂就職難の声が高く諸君が其力を尽し其才を伸べる処を得るに困難を感じつゝある、私は此点に於ては実に同情に堪へませぬ、然し物窮まれば必ず通ず必ずしも悲観する必要は無い私は諸君が此間に意気阻喪し萎縮退嬰に陥らざらむことを望むものであります
私は本日を以て諸君と御別れを致すのでありますが然し本大学と諸君との関係がこれで断ち切られて仕舞ふのでは無い、本大学は母校として常に諸君の前途の多幸ならむことを冀ひ出来得る限り後援をも致したいと考へて居るのであります、諸君も常に母校のことを思ひ此情誼が長く存在せんことを望んで止まぬものであります簡単ながら之を以て諸君に対する送別の辞といたします

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